Why Be Happy When You Could Be Normal? by Jeanette Winterson

‘Oranges Are Not The Only Fruit’ に続き読んでいた’Why Be Happy When You Could Be Normal?’ を読了。 ちょっとまだ上手に呼吸ができない。 感想は掻き混ぜられた感情が沈殿してから。(03/02/2020)

‘Oranges’が著者の半自伝的な小説であることは有名だが’Why Be Happy’は27年後に書かれたノンフィクションの回顧録。
続編?副読本?という気持ちで読み始めたら、とてつもないヘヴィブロウだった。
『オレンジ』にも書かれていたエピソードがより痛ましく繰り返される度にあれがあくまで小説であるという著者の主張が分かる。エルシーのことを書いた一文でどうしようもなく泣いた。
「ひと際悲しいのは、私が現実のカバー版である『オレンジ』を、これなら耐えられるという話を書かずにいられなかったということ。現実は余りに痛みに溢れ、抱えて生きることはできなかった」
作中、著者は養母のことをMother, Mrs Winterson等と呼ぶ。
養父はFatherの時もあるがDadの方が多い。
私が読んだ限り、会話文での呼び掛け(これも僅か二度)以外、地の文で養母がMumと呼ばれるのは著者が生涯で最後となる別れを告げた場面のみである。
その意味を考えると言葉はずっしりと重い。
しかしながらこれだけにも内的世界を深く突き詰め、感情を強く、凶暴に揺す振ってくる文章でありながら、情緒に酔う甘さは一切無い。
慟哭しつつ自分の中の感情と狂気を見据える凄烈な力を感じる。
愛への枯渇、剥き出しの痛み、怒り、孤独、死に限りなく近い絶望……。


ジャネット・ウィンターソンは奇跡の子だとずっと思っていて、あの才能、知性、激情を持って産まれた赤ん坊が、聖書以外の読書を悪とする極端で貧しい北のキリスト教徒家庭に養子に出されるという、その生い立ちからして既に類稀なる偶然に成り立っている。
彼女の実際に話しているところを見れば分かるが、命が肌の下に張り詰めている。近付けば知性のエンジンが頭の中で唸る音が聞こえそうな話し方で、小学生の男の子みたいにお行儀が余り良くなくて、軽やかなのに底が見えず、そしてなによりチャーミングである。
命が200%くらいある。(04/02/2020)

(11/11/2020 過去のツイートから転載)

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