田辺聖子『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』

読了。風邪でぼやっとしていたので、頭使わなくても読める日本語で読書。
田辺聖子のおんなのこころを描く手腕に唸る。
昭和50年代の話なので当時の男女観に少々辟易する部分もあるが、それを補って余りある乃里子の自由さと誇り高さ。

『言い寄る』乃里子、美々、五郎、剛などの魅力的な登場人物と下手するとドロ沼ともなる人間関係や心理を「とは云え、実際生きている人間ってこんなものよ」とでもいうようにさらりと描く。
「そのかわいいかるさといったら、なかった。」の一文のうつくしさ、悲しさ。
作者の日本語の妙に胸を衝かれる。

一番面白かった『私的生活』
「日々のたのしい漫才コンビの、イキのあった生活の歓びは、私を犠牲(いけにえ)にして行われる祭儀なのだということを、知らない」
関係が生きていて、死ぬこともあるということを凄みのあるリアリティで突き付けてくる。

乃里子が「これだけは持って行かせて」と云う物に剛がした仕打ちに息を呑む。
百点満点の相手などいる訳が無く、納得いく「犠牲」を双方がどこまで出せるか、「だましだまし」「芝居っけ」と「友情」でどこまで生き存えさせられるか。
本気で好きと本気で嫌いが同居しうる愛だの恋だのは実に厄介である。

『苺~』は乃里子が元気で楽しそうで何よりだけれど少々蛇足的な気も…。
けれども「優しい言葉の出る機械」などの表現は流石としか云えず秀逸。
これが決定的に壊れた瞬間はやはり前作であの箱が打ち壊された時なのか。
一人で生きると云いつつ、そこはかとない色気のある関係の中で生きる姿。

(11/11/2020 過去のツイートから転載)

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